被災地もボランティアセンターも1週間前とは大分変わっていました。
被災者のニーズ、心境は目まぐるしく変化しています。
前週行った際、ボランティアセンターもまだ始まったばかりでボランティアたちが知恵を出し合って「仕組み作り」をしているところでした。
物資も沢山入ってきたばかりで、倉庫(体育館)もごった返し状態。それを仕分けして、どこに何があるか分かるよう工夫し、センターがスムーズに運営されるよう総務部を作り、フロアチームを作り、デリバリーチームを作り・・・ ボランティアがそれぞれの知識・経験を生かしてボランティアセンターの運営が始まっていたところでした。
2回目に訪れたボランティアセンターはそれぞれのチームがリーダーによりまとめられ、壁にはボランティアが快適に生活するためのルール、様々な手作り掲示板が貼られ、総務部が機能し組織化されていました。
被災地では自衛隊の素晴らしい活動により道路は殆ど復旧していました。
ガソリンも手に入るし、ライフラインの復旧も進んでいました。
まだ電気が通っていないエリアでも発電機を積んだ車が来て、時間限定ですが集落に電気を通していました。
食糧はほぼ全域で行きわたっています。だしの素、ケチャップ、味噌、ソースなど調味料のニーズはまだありました。
<被災地でのニーズ>
食糧、衣類、消耗品はほぼ行き届いていて、自衛隊やボランティアによる温泉送迎も始まり多くの被災者がお風呂に入ることが出来ています。
これまでの被災地での二−ズの変化はこんな感じです↓
(ニーズが多い順(個人的に感じたニーズ))
震災から1週間
@毛布
A防寒着
B食糧
Cガソリン
震災から2週間(3/25-27 1回目のボランティア)
@ガソリン
A下着
B着替え
C生理用品
D調味料(特に味噌)
E長靴
F文房具、本
震災から3週間(3/31-4/3 2回目のボランティア)
@長靴
A野菜
B高齢者ケア(人、物)
C靴(運動靴系?)
Dケチャップ、ソースなどの調味料
上記以外で被災者からリクエストがあった物資は、
・大工道具(家が流されて家を建てようとしている被災者がいました)
・シャベル
・一輪車
・掃除用具
・自転車
・高齢者が楽しめる物
震災から3週間が経ち、避難所で暮らしている被災者のストレスもかなり溜まってきています。
その辺りのケアが、今後一番重要になってきそうです。
ある避難所で生活している被災者が、「もうすぐ喧嘩が起こる」と言っていました・・。
大人たちは日中は外に出て仕事に行くか、作業をする為に外出。
子供たちと高齢者がヒマを持て余していて、「とにかく話相手が欲しい」「手のマッサージをして欲しい」という声が増えています。
先週、フラフープを10本とバドミントンを子供たちに届けたら喜んでくれました。
その前もオセロとUNOが人気でした。
震災から3週間経つのにまだ一度も外に出ていない高齢者もいます。
毎日やることがなく、ただただ寒い体育館でじっとしているのは凄く辛いです。
南三陸町では学校の開始がゴールデンウィーク明けになることが決まりました。
それまで子供たちは何をしたらよいのでしょうか・・・
子供たちと高齢者のケアをするボランティアが、何よりも重要なニーズへと変化しています。
子供と高齢者が一緒に楽しめるモノ、何か無いですかね!?
ベーゴマ、けん玉といった昔ながらの玩具もいいんじゃないかな〜。
これまで、大きく分けて2種類の被災者がいました。
1.家が流され避難所生活をする被災者
2.家が残ったものの、ライフラインが無い家で暮らす被災者
行政の物資は主に避難所へ運ばれています。炊き出しもあります。
震災から2週間までは、家がある被災者も避難所で物資や食糧を分けてもらったりしていましたが、それが出来なくなりました。「家がある」と「家が無い」被災者の間で確執が生まれたからです。
民間ボランティアでは2のタイプの被災者を支援してきました。
で、震災から3週間経ち・・・
3種類目の被災者がちらほらと出てきたのです。
「家が流され、避難所にも行けない」被災者です。
避難所に行かず、親せきや近所の民家に避難していた被災者が行き場所を失うという深刻な事態が発生しています。
親戚とはいえずっと世話になるわけにいかない、居ずらくなってきたのです。
着の身着のままで助かり、少しの間滞在できる場所があったが為に大きな避難所の被災者からは受け入れてもらえず「顔も合わせられない」という状況。食糧も分けて貰えないとのことでした。
お風呂にも入りたいけど、避難所の被災者の送迎が優先だから自分たちのところには来ないと諦めていました。(後日、こちらの家族と連絡を取りお風呂送迎の手配をしました)
集落の避難所は家があろうとなかろうとその集落の人たちが利用していました。
代表者が「物資リクエストリスト」に物資の希望を記入して、ボランティアに要請していました。大抵の集落の避難所では全ての家族に均等に物資が行きわたるよう物資を配当していたようです。
実は均等では足りない家族がいるのに、多数の被災した家族に埋もれてしまい十分に支援されていませんでした。
私が東京に帰る日、RQでは3種類目の被災者を捜索するチームが発足されていました。
一刻も早く、困っている被災者へ支援が行き届くようこうしてボランティアセンターも変化しているのです。
ボランティアをしていると一日があっという間です。
朝6時半起床、7時朝ごはん、7時半朝ミーティング、終日活動、夜18時半夕食、19時45分〜21か22時まで夜ミーティングです。
ボランティアは十分な健康管理をして、燃え尽きないよう頑張って行かなきゃです!
(自分への戒め)